コラム・レポート
性器にカテーテルを挿入、始まった新年の再検査(103)
鹿児島市池之上町(いけのうえちょう)にある「福昌寺跡のキリシタン墓地」。明治になって新たに弾圧され、生まれ故郷の長崎の浦上から鹿児島に留置されたキリスト教徒375人中、1873年に帰郷が許されるまでに53人が他界、その人たちがこの合同墓碑に眠っている。
(著者からの要望で、がん闘病中で具体的な治療法をお知りになりたい方には、最後にお知らせがあります)
【隼人の風】新年早々、再検査を行うことになり、ベッドで私は毎度のことながら気分が悪くなるバルーンカテーテルを性器から挿入され、見送ってくれる家人を後にして、馴染みたくは決してない「血管造影室」に連れて行かれた。
チクチクと股関節近くに何カ所か麻酔が打ち込まれ、吹き出す血をしきりに布で拭き取っていくのが感じられた。経験によって体がもう覚えてしまった気味の悪い不安な感覚が、また容赦なく次々と繰り返されていった。
壁に掛かった時計の針と、映し出される血管中を進んでいくカテーテルの動きに時々は目を向けながら、私は新たな主治医の「陣内君」と前から主治医団のひとりで若手の医師「ドンキー」の様子を見守っていた。「気分は悪くないですか?」と2人から交互に何度も聞かれたが、「いいはずないでしょ?」と言いたいのを、そのつど我慢しては「はい 大丈夫です」と答えた。
私は「ともかくヘマをして血管を突き破らないでくれ!おまえ達、破れないようにちゃんと伸びるんだよ、俺が置かれている状況はよくわかっているだろうね?」と、自分の血管に呼びかけながら、体内で頑張っているはずの抗がんのために戦っている配下部隊の「勇者達」が、間違ってもこの大事な実戦中に居眠りをしないように願い続けた。
放射線が照射される音と、時々動く医療スタッフの立てる音だけが部屋の静寂を微かに乱すだけで時が流れ、私は「はい、手術が終わりましたよ」の言葉を懸命に待ち続けるしかなかった。
「福昌寺跡のキリシタン墓地」の説明板。フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier、1506-1552)ゆかりの地ということで比較的寛大な処置をキリシタン達が受けたことが書かれている。「陣内君」はやたらと「うーん」とか「ああ、そうか!」などと、患者には意味不明な発声をする癖があるらしく、命を預けている医師の一挙手一投足に、それこそ一喜一憂を強いられる患者の身としては、彼がひと言発するたびに、よけいな不安を煽(あお)られてしまうといった点で、まことにもって迷惑で腹立たしい存在だった。
「ドンキー」は首を時々コキコキと回してはストレッチをするぐらいで、その点だけは無害だったが、なにしろ注射が不得手だという「必殺技」を隠し持っていたから油断はならなかった。
私は、心配のあまり溜息をついたと思われたくなくて、口をすぼめて小さく細く息を天井へと何度も吐き出した。吸う時は、なるべく大きく深く、へそ下丹田まで酸素を多量に送り込むつもりで長く吸い込んでみた。
呼吸法もまた、がん退治に大きな関係があると何かで読んだからだったが、私はそんな深呼吸を繰り返しながら急に、大好きだった「マリポーサ」という名の甘口葉巻を思い出した。黄色い箱で、帯に蝶のマークがついたヨーロッパ葉巻だったが、「そういえば蝶は短命の象徴だったなぁ・・・」と今の境遇が少しおかしくなった(九州出身で、自衛隊を経て地方で働く重浪明さんが、末期がんから生還した自らの話を不定期にエッセイ風に書きます。
また、重浪明さんからの申し出で、現在、がんの闘病中の方で、具体的な治療法をお知りになりたい方は銀座新聞ニュースまでメール(allginza@gmail.com)でご一報ください。著者から追って連絡させていただきます)。
