コラム・レポート
医師から最悪の病理診断結果を知らされる(76)
「鶴丸城(鹿児島城)」のお濠と石垣。島津77万石城主の居城で、「島津に暗君なし」の伝承どおり、代々英明な君主に恵まれた。領内各地の山城(外城)による防御と、騎馬ではなく、歩兵の集団機動という独特な用兵思想により、大藩の本城としては質素で小規模な造りである。(著者からの要望で、がん闘病中で具体的な治療法をお知りになりたい方には、最後にお知らせがあります)
【隼人の風】これまでも手術後には必ず「病理検査の結果が出るまでには10日ほどかかります」と言われてきたが、結果はほぼ1週間後に告げられるのが常だった。それは私にとってはいつもロクな話ではなかったのだが・・・。
私は、毎日届けてもらう「アガリクス」と「枇杷(びわ)の種」や「枇杷エキス」といった「配下部隊への補給品」を服みながら、こんどこそは素晴らしい「福音」を告げられるという明るいイメージトレーニングに励んでいた。
ひと口服み下すごとにがん細胞を叩く成分が血管を勢いよく駆けめぐり、慌てふためいて算を乱して敗走する敵さんをイメージしては気合を入れ直して戦意を高めていたのだ。
手術からほぼ1週間が過ぎた朝だった。開け放した窓から流れ込む初冬の冷たい風が、温室のように暖かい病室での日常に慣れてしまった身には心地良く感じられる病棟で、大勢の医師達による院内回診が始まった。
例によって半袖の白衣で私の横に立ち止まった「司祭」が「具合はどうですか?」と優しく問いかけると「やはりモノはありました。段階はワンランク軽かったけど、それは程度が重い部分を以前に削り取っていたということもあるだろうし、いずれにしても非常に危険な状況です」と穏和な表情のままで口元を引き締めて言った。
ちょっとガクンと来た。私はこの1週間というもの、日々繰り返したイメトレの中で「がんはどこにも見当たりませんでしたよ」と言われることを切に待ち望んでいた。思いがけない「開戦」から2カ月、病院もハシゴ(?)したというのに、否応なく瀬戸際に追い詰められてしまったのだ。
見つかったのはワンランク軽かったとしても、これまでの手術の時に削り切れなかった部分で増殖をしつこく続けているのがいるのかもしれないし、こいつらがいつ壁を突き破って血液やリンパ液に紛れ込み始めるかわからないわけだ。「チェッ!なんとか食い止めないと一気に勝負をつけられてしまうぞ」。
司祭は「この結果を受けて、またカンファレンスがありますから、結果は追ってお知らせします」とまるで私の心が大きく波立っているのを優しくいたわるかのような思いやりにあふれた口調でそう付け加えた。
無言で司祭にくっついている「ドンキー」の切れ長の目が、ベッド脇のサイドテーブルに置かれた文庫本に注がれているのに私は気づいた。それはプーシキンの詩集だった。たとえ今は苦役の人や「牢獄」にいても、決して希望を失うまいと私は時折、彼の詩を読んでは自分を鼓舞していたのだが、ついにそのわずかな希望にも終わりの始まりが訪れたのかもしれないと思った(九州出身で、自衛隊を経て地方で働く重浪明さんが、末期がんから生還した自らの話を不定期にエッセイ風に書きます。
また、重浪明さんからの申し出で、現在、がんの闘病中の方で、具体的な治療法をお知りになりたい方は銀座新聞ニュースまでメール(allginza@gmail.com)でご一報ください。著者から追って連絡させていただきます)。

