コラム・レポート

トヨタのF1初年度は善戦するも入賞止まり(23)

トヨタのF1初年度は善戦するも入賞止まり(23)初挑戦の2002年3月F1の開幕戦、オーストラリアGPでミカ・サロが6位に入賞した。

【モータースポーツを拡げろ!】2001年12月、ドイツの地でトヨタの実戦用F1マシンが公開された。2002年のF1参戦チームに先駆けての発表ということもあり、報道陣の数も800人を超え、注目の高さがうかがえた。

2000年からF1に復帰したホンダは、この年もエンジンを供給したチームが「ジョーダン」5位、「バー(BAR)」6位とかなりの成績を収めており、ホンダとトヨタの対決という側面もあり、関心をひいていたのだろう。


2002年F1第3戦のブラジルGPでも、サロが6位入賞を果たす。

年があけて2002年1月より、開幕前のテストが進む。しかし、この「TF102」で当初より懸念されていた「ダウンフォース」(クルマを下向きに押し付ける力。高速でコーナーを曲がるために必要とされる)の不足が露呈してしまう。

といっても、根本的な設計変更は当然間に合わないため、ドライバーのミカ・サロ、アラン・マクニッシュ、テストドライバーとして加わったライアン・プリスコによる走りこみで、対応できる改良をしていくこととなった。

2002年3月、トヨタF1の初戦はオーストラリアGPだった。トヨタのコーポレートカラーである赤と白を基調にデザインされた「TF102」が降り立ったのは、オーストラリアはメルボルンのアルバートパークサーキットだった。

2002年トヨタにとって初の日本GP参戦を前に、ガレージで撮影したチームメンバー。

スタート直後に多重クラッシュが起こり、予選16位からスタートしたマクニッシュはこれに巻き込まれてリタイアしてしまう。しかし、一方の14番手スタートのサロは着実に走り続け、6位入賞を果たす。関係者は大いに喜んだに違いない。

第2戦のマレーシアGPは、マクニッシュが一時ポイント圏内の6位を走行していたものの、結果として7位だった。一方のサロはトラブルに見舞われながらも12位完走で終わった。

続く第3戦は40年以上も歴史のある生産・販売子会社、ブラジルトヨタのあるブラジルGPだった。従業員も多く詰めかける中、決勝レースが行われた。ここで、10位スタートのサロが、このシーズン2度目の6位入賞を果たす。観戦に来たトヨタ関係者の喜びは、いかばかりだったか。

第4戦のサンマリノGPでは、それまでの「RVX-02エンジン」を改良し、パワーアップしたエンジンを持ち込んでの参戦となった。しかし、これ以降、ポイントは取れずにシーズンを終了することとなってしまう。

シーズン最終戦、お膝元の日本GPではマクニッシュは予選でクラッシュし、出場にドクターストップがかかってしまったものの、なんとかサロが8位で完走する。

また、2002年唯一の日本人ドライバー、佐藤琢磨(さとう・たくま)はジョーダン・ホンダを駆って、5位入賞を果たした。

こうして、トヨタにとっての1年目の「学習の年」は終わり、2003年の「挑戦の年」を迎える(【モータースポーツを拡げろ!】はモータースポーツについて毎週末に掲載します。若手ライターの平本真樹さんが書いています)。
富士スピードウェイ

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