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富士SWのF1は星野が大健闘し、ハントが逆転優勝(18)

富士SWのF1は星野が大健闘し、ハントが逆転優勝(18)日本初のF1レースで優勝を飾ったアンドレッティ。マシンは「ロータス77」だ。

【モータースポーツを拡げろ!】富士スピードウェイで30年ぶりのF1が、あと1カ月と迫ってきた。これからF1はトルコ・イスタンブール、イタリア・モンツァ、ベルギー・スパフランコルシャンと転戦し、富士が15戦目となる。ここで、30年前に行われたF1の様子を振り返ってみよう。

アジアで初めての開催となったF1レースは、1976年10月22日から10月24日に行われた。スポーツニッポン新聞社が、F1界の総帥・バーニー・エクレストン(現F1最高責任者、FIA=国際自動車連盟=副会長)と話をまとめあげ、1974年から着々と準備を進めてきた。


日本初のF1で「マクラーレンM23」のハントは3位だったが、1976年は年間でF1チャンピオンと総合優勝を果たした。

毎日新聞社、富士スピードウェイが加わって3社による共同主催となったレースの名前は「F1世界選手権イン・ジャパン」とされた。国内のF2000のレースに「日本グランプリ」という名称がつけられていたため、この名前になったという。

輸送のため、チャーターされた飛行機に26台のF1マシンが積まれ、日本へと運び込まれ、ドライバーも、マリオ・アンドレッティ、ジェームス・ハント、ニキ・ラウダ、パトリック・デパイエなど、そうそうたる面々が出場した。

日本人勢は、高原敬武(たかはら・のりたけ)、長谷見昌弘(はせみ・まさひろ)、星野一義(ほしの・かずよし)が参戦した。予選で1分12秒77を出したアンドレッティがポールポジションを獲得する。

1976年、富士スピードウェイで開催されたF1で日本人最高位となった高原敬武は、同年のGCシリーズで2年連続のチャンピオンとなった。

10月24日の決勝当日は、前日から降り続いた雨の影響で、1時間40分遅れのスタートとなった。スタートダッシュをしたのは「マクラーレンM23」を操るハント。そしてこれを追うのは「ティレル34」のデパイエだ。

予選1位で「ロータス77」に乗るアンドレッティが、64周目にしてようやくトップに躍り出た。結局、日本で初めてのF1、73周のレースは、アンドレッティが優勝を果たした。2位にはデパイエ、3位にはタイヤトラブルに見舞われたもののハントが食い込んだ。

日本人では「サーティース」に乗る高原が9位、「コジマ」のハンドルを握る長谷見が11位、「ティレル」を駆った星野は一時、3位にまで上がるなど健闘したものの、27周でリタイアしてしまった。

1976年チャンピオンシップをニキ・ラウダとジェームス・ハントが争っていた。レース前まで、ラウダが3点リードしていた。このレースで「フェラーリ」を駆るラウダは2周目でリタイア、一方ハントは3位に入り4点を獲得。最終戦で逆転となり、富士スピードウェイはハントが世界チャンピオンを獲得する舞台ともなったのだ(敬称略、【モータースポーツを拡げろ!】はモータースポーツについて毎週末に掲載します。若手ライターの平本真樹さんが書いています)。
富士スピードウェイ

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