コラム・レポート
富士SWは開幕時から世界的レーサーが疾走した(17)
【モータースポーツを拡げろ!】1966年、富士スピードウェイで行われた第3回日本グランプリは、グランプリの名にふさわしく、プリンス自動車の「R380」に乗る砂子義一(すなこ・よしかず)とポルシェを操る滝進太郎(たき・しんたろう、1937-1998)の熱いバトルとなった。
25週目に滝がトップに立つも、26週目には砂子が抜き返す。さらに滝が猛追するも、42週目に、ホームストレートに入るカーブでスピンしてしまい、ガードレースにぶつけてリタイアとなった。結果、砂子の「R380」が優勝を飾ることとなった。
だが感動さめやらぬ4週間後、優勝を飾ったプリンス自動車と、日産の合併が発表される。栄光の1ページを飾った「プリンスR380」の名はこの大会限りとなり、この技術は日産へ受け継がれていく。
この年には、ほかにも大きなレースが、富士スピードウェイで開催された。1つは、10月の「インディアナポリス・インターナショナル・チャンピオンレース」(通称インディ富士200マイル)だ。米国を中心としたインディ・カーレースをそのままそっくり、日本へ持ってきたのだ。
このときに来日した顔ぶれは、日本グランプリでも試走したジム・クラーク(スコットランド)に、1966年のモンテカルロラリーで優勝したジャッキー・スチュアート(スコットランド)、この年のインディレースの優勝者、グラハム・ヒル(イギリス)、マリオ・アンドレッティ(アメリカ)、ビリー・フォスター(カナダ)といった、世界のトップドライバーたちだ。
レースは終盤、スチュアートとヒルの追いつ追われつの展開となったが、ヒルは77週目のヘアピンでエンジントラブルが起き、結局7位にとどまり、ローラ・フォードに乗るスチュアートが優勝を飾る。
同じ10月には、2輪車の世界選手権も行われ、50CC、250CC、350CCの3クラスで開催された。メインのレースとなった350CCは、P・リード(イギリス)、B・アイビー(イギリス)、長谷川弘の3人による争いとなる。長谷川はエンジントラブルでリタイアするものの、250CCでは優勝を果たす(車両はヤマハ)。50CCは、スズキに乗る片山義美(かたやま・よしみ)が優勝した。
こうして、開設初年度より、国際レースも実現させ、国際的なサーキットとしての存在感を、富士のふもとで発信していくこととなった(【モータースポーツを拡げろ!】はモータースポーツについて毎週末に掲載します。若手ライターの平本真樹さんが書いています)。
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