コラム・レポート

排気量拡大の中、規制強化でレース不参加(13)

排気量拡大の中、規制強化でレース不参加(13)1968年の富士1000kmレースで総合優勝を果たす「トヨタ7」(3000CCーバージョン)。大きさは「ヴィッツ」をやや上回る程度。

【連載:モータースポーツを拡げろ!】「トヨタ2000G」-1965年に誕生して42年が経つ。現在でも時代をつくったインパクトと、そのフォルムの流麗さに、コアなファンが絶えないクルマだ。

1966年、1967年とモータースポーツシーンを席巻したこのマシンが誕生した後、自動車レースの世界は大きく転換していった。

レースはより刺激を求める流れとなり、市販車をベースにしたツーリングカーよりも、試作車やレースを主眼としたプロトタイプにシフトしていく。また、エンジンもより大きな排気量でスピードと迫力を追求していく。


トヨタ、日産など各社で5Lエンジンや、それを上回るようなクルマが開発され、脚光を浴びていった。具体的に挙げれば、トヨタの「トヨタ7」、日産の「R381」、タキレーシングの「ローラ170」などであろうか。

「R381」はアメリカのエンジンチューニング会社が、フォードのエンジンを調達して手を入れたエンジン、ということでも話題になった。

また、「スカイラインの父」として知られる桜井真一郎さんが開発した、後部サスペンションと連動した可動式の、左右分割ウイングという独特な形状が、モータースポーツ専門家たちの関心をひいた。

1969年の「日本CAN-AM」で疾走する「トヨタ7」(5000CC)

トヨタ、日産、タキレーシングの「TNT対決」と俗に言われた争いは、ポルシェの参戦もあり、激しさを増していった。

しかし、華やかさの裏側で、高度経済成長の負の部分が大きくクローズアップされていく。重化学工業を中心とした産業の隆盛を背景に、主要なエネルギーが石炭から石油へと転換していった。

その一方で、モータリゼーションの浸透によるクルマからの排気ガスを規制する動きが高まり、1966(昭和41)年に排出ガス規制が始まり、これ以降、規制の強化が進んでいく。

当時の技術陣の結晶ともいえる「トヨタ7」の改良車「7改」。世相のあおりを受け、公の場ではエキシビジョン1回きりの走行しか姿を見せなかった。

1968年には大気汚染防止法が施行、加えて同年に騒音防止法も施行され、モータースポーツの活動に大きな壁が立ちはだかった。

こうした中で、日産は1970(昭和45)年6月、日本グランプリへの参加を見合わせる声明を発表する。公害問題や交通の安全問題の解決が第一義であることや、レースに出場するクルマの大排気量化にともない、一般参加者が対等に競えないという批判への対応などが主な趣旨であった。これを踏まえて、トヨタも不参加を決定する。

おりしも、大阪万博が開催されていた時期、モータースポーツの歴史は大きく転換していくこととなった(【連載:モータースポーツを拡げろ!】はモータースポーツについて毎週末に掲載します。若手ライターの平本真樹さんが書いています)。

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