コラム・レポート
ホンダ「S600」とトヨタ「スポーツ800」が激突(11)
【連載:モータースポーツを拡げろ!】1960年代、モータースポーツの中でも伝説をいまに残すレースカーが誕生した。その名は、トヨタ「2000GT」である。1965年(昭和40年)にこの名車が産み落とされるまでのモータースポーツの歩みをみてみよう。
日本グランプリの第2回が行われたのが1964年だ。この年の3月に、ホンダが「S600」が発売した。「600CC」という排気量でパワーを稼ぐために、2輪車の実績も加味した高回転型のエンジンを開発し、57馬力をたたきだす。このクルマが同年5月に行われた日本グランプリの「GT-1」というレースで上位を独占したのだ。
一方、トヨタは「パブリカ」のシャーシ、エンジンを流用して大幅に改良を加え、1965年3月に、「スポーツ800」(愛称「ヨタハチ」)を生み出した。800CCで45馬力という非力なエンジンを補うために、徹底的な車体の軽量化、そして空気抵抗の軽減を追い求めた。
「S600」が重量で700kgクラスであったが、「スポーツ800」は各所にアルミ合金や樹脂などを採用して、600kgを下回る形となった。
また、トヨタのグループ会社、関東自動車工業を中心にして、回流水槽などを活用して空気抵抗を下げるデザインを導き出す。その結果、この時代は四角いフォルムがほとんどだった中で、全体に丸みを帯びたフォルムをみせることとなった。これらの結果、最高時速で150kmを超えるとともに、燃費で1Lあたり30km以上を記録したという逸話も残している。
この、ホンダ「S600」とトヨタ「スポーツ800」は、この時代のモータースポーツの活力を支えることとなる。特によく語られるのが、1965年7月に、船橋サーキットで行われた「全日本自動車クラブ選手権レース」だ。
1964年に短期間ではあるが英国のレーシングスクールでドライビングテクニックを学んできた生沢徹(いくざわ・てつ、1942-)、浮谷東次郎(うきや・とうじろう、1942-1965)の同い年である2人が、このレースでデッドヒートを繰り広げたのだ。
「S600」を操り、終始トップ争いを繰り広げていた生沢に対し、「スポーツ800」に乗る浮谷は、接触事故でピットでの応急処置を余儀なくされた。しかし、ここから驚異的な追い上げをみせ、浮谷が逆転優勝を遂げた。
この後も「スポーツ800」はさまざまなレースで活躍するが、基本思想が従来車の改良であった。このため、レース仕様を前提としたクルマづくりがトヨタの中で必須となる。この流れが、トヨタ「2000GT」へとつながっていくのだ(【連載:モータースポーツを拡げろ!】はモータースポーツについて毎週末に掲載します。若手ライターの平本真樹さんが書いています)。
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