コラム・レポート

遺体写真が堂々とメディアに掲載されるインドの死生観(148)

遺体写真が堂々とメディアに掲載されるインドの死生観(148)イスラム土葬に反して、海中に葬られたオサマ・ビン・ラディンの死体写真は公開されずじまいだった。

【印度の玉手箱】死体写真を公開しない日本のメディアに慣れていた私がインドに移住してびっくりしたのは、赤裸々な遺体写真がテレビや新聞、雑誌におおっぴらに披露されることだった。

死に忌み感のある日本と違って、国民の8割を占めるヒンドゥ教徒は露天火葬の慣習があるため、死がいを見慣れていることもあろう。日本とは死生感が違い、死は避けるもの、忌み嫌うものでなく、自然として受け止められていることもあるにちがいない。

インドに限らず、一般に海外メディアは死体写真に対する拒否感はなく、戦場死写真もこれまで公開されてきたところを見ると、日本のメディアがやや異常とも言えるが、インドの場合、プライバシーの侵害、人権侵害ともいうべき写真も平然と公開するので、首を傾げざるを得ない。


戦場の痛ましい遺体写真は戦争の抑止力効果に、災害死の写真は警告になるともいわれるが、死体写真を見慣れぬ私にとっては、やはり違和感のほうが強い。

たとえば、移住したばかりのころ、朝刊の1面にでかでかと首吊り自殺を敢行した3姉妹の、天井扇風機からぶらさがった遺体写真が掲載されたことがあった。

貧民の父の苦痛の種である「ダウリー」という嫁入り前の持参金制度を悲観しての三つ巴心中だったが、こうした赤裸々な写真がダウリー関連自殺の抑止効果になっているかというと、はなはだ疑わしい。

それどころか、怖いもの見たさの好奇心のほうが優り、読者の感興をそそるのみで、一種の見世物になっている可能性のほうが大きい。朝っぱらから、3姉妹の自殺遺体を見せつけられた読者の中には、気分を害する者もあろう。

ガダフィ大佐の血塗られた捕縛画面と、死体写真はインドでは大々的に公開された。

もちろん同情を誘うが、それ以前にぎょっとさせられる赤裸々さだ。私は日本人なので、遺体に見慣れたインド人は屁の河童なのかもしれないが。

1991年に爆弾テロに倒れたラジヴ・ガンジー(Rajiv Ratna Gandhi、1944-1991)元首相の、爆死写真もメディアに出回った。爆風で衣装がはだけたような、人権侵害はなはだしい写真で、仮にも一国の首相ともあろう者が寝台での尊厳死を迎えられなかった以上、このような死体写真は遺族の心情をかんがみ、公開されるべきでないと思ったが、読者の好奇心に訴えんかなの意図で流布されたもののようだ。

近年、テレビでは遺体公開にあたってぼかしたりして配慮、新聞、雑誌の死体写真公開件数もやや減ったように思えるが、これはやはり人権を考慮しているものと思われる。

しかし、当地オディッシャ州の衛星放送がニュースで事故死遺体を公開するのはしょっちゅう、こうしたあからさまな画面が事故防止につながっているかというと、大いに疑問である。

血塗られた死体写真への好奇のみが優り、あぁ、こんな風に無駄死にしたくないから気をつけようと結び付けて考える人は少ないといえる。

死体写真公開の是非は一概には言えず、日本のように全部伏せてしまうのもおかしいし、メディアの公正さから見ても、公開すべき妥当性のあるものは公表されてしかるべきと思う。

日本のメディアがもし第2次世界大戦時(1939年から1945年)、戦場の惨殺死体を公開していたら、国民全体に抑止力として働いたかもしれない。

明治以降の日本政府の方針で兵士の死体写真を公開しなかったせいで、勝った勝ったで隠蔽(いんぺい)工作、強いてはそれが日本人を全員玉砕(ぎょくさい)へ、死んでもいいと、きれいごとで戦争を推し進めさせてしまったいきさつがあった。

マイケル・ジャクソンの死体写真は、異様にやせ衰えた様が如実で、ショッキングだった。

かといって、東日本大震災の津波で野ざらしにされた遺体を公開すれば、警戒心が強まり、防災上有意義といわれても、日本人には素直に飲み込めないだろう。

遺族に配慮すべきだとの声が圧倒的で、もし死体写真を公開していたら非難ごうごうの嵐にあったはずである。現にフジテレビが死体公開して、視聴者の非難の嵐に遭遇している。

インド人は野次馬根性旺盛、怖いもの見たさの精神が優り、エログロナンセンスを好む癖の強さを持ち合わせているため、そうした嗜好に応えた死体公開だと、正当性は疑わしい。

ちなみに、オサマ・ビン・ラディン(Osama bin Mohammed bin Awad bin Laden、1957-2011)の死体写真をアメリカは公表しなかったが、インドではネット出所らしい偽死体写真が出回った。リビアのガダフィ大佐(MuammarMuhammad Abu Minyar Gaddafi、1942-2011)の死体写真はテレビ、新聞で大々的に公表されたが、日本ではどうだったのだろう。

アメリカでは、有名なスターとしては、マイケル・ジャクソン(Michael Joseph Jackson、1958-2009)の死体写真が公開されたが、これはかなりショッキングなものだった。係りつけの医者が起訴された事実からも、公開は正当性にかんがみたものだろう。

インドでは、政治家やスターなどの有名人の遺体はもちろん公開される。鼻腔に真綿を詰めて花で飾られた亡骸(なきがら)は支持者やファンが哀悼の意を表するためにも、見世物にされなければならないものなのだ。霊柩車や悲痛な表情の遺族のみ写す日本とは、やはり死生観が根本から違う。

テレビや新聞で遺体写真を目の当たりにするたび、その是非について考えこまさずにはおれない今日このごろである(敬称略、【印度の玉手箱】はインドで暮らすモハンティ三智江さんがエッセイやショートストーリーを不定期に書きます)。

ホテル・ラブ&ライフ

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