コラム・レポート

ダークブラウンとマーブルカラーの薩摩おごじょが編み出す楽曲(8)

ダークブラウンとマーブルカラーの薩摩おごじょが編み出す楽曲(8) 2008年春「天璋院篤姫イメージ曲」(「薩摩おごじょ」のテーマで依頼された楽曲の元となった作品)と、2010年秋「坂本龍馬(さかもと・りょうま、1836-1867)イメージ曲-龍馬の生涯」(龍馬関連団体から依頼された作品)を演奏時の和風様衣装を着用した柴藤ひろ子さん(平山和充さん撮影)。

【神侠介の霧島連報】「薩摩おごじょ」といえば、でしゃばらず、芯(しん)が強く凛然(りんぜん)とした激しさも秘めるといったイメージがあるようだが、一歩引くようでいて、その実しっかりと男性をコントロールするのは日本古来のスタイルだった(!?)わけで、現代にあっても、そう的外(まとはず)れとは言い切れないかもしれない。

今回は2008年のNHK大河ドラマ「篤姫(あつひめ)」のイメージ曲としても広まった「薩摩おごじょ」をテーマとした作曲を手がけ、癒(いや)し系音楽制作、作曲、編曲と幅広く提供する「フローラル ミュージック」(鹿児島県鹿児島市桜ヶ丘3-5-2、099-265-5554)代表の柴藤ひろ子(しばとう・ひろこ)さんを紹介する。

柴藤さんは、冠婚葬祭でのセレモニー音楽、特に、故人が大切にしていた歌や曲のピアノアレンジ、CD制作に心を注ぎ、短歌集、自費出版などの出版物、内容から滲(し)み出る作家自身へのイメージ曲作曲やCD制作も手掛ける。


2011年春に鹿児島市より依頼があり、「作曲-優しいピアノの調べに激情も乗せて」という演題で講演したが、その中で柴藤ひろ子さんは「親子のためのピアノ小品集」について話し、演奏もした。

「情操(じょうそう)教育もあったのでしょうけど、クラシック全集を母がいつも流してくれていました。通っていた幼稚園で開講されていたヤマハ音楽教室の様子や流れてくる音楽によく足を止めている私を見て、両親がきっかけをくれました」と柴藤さんが音楽に親しみ始めた頃を振り返った。

大学ではピアノを専攻、卒業後に都内で音楽活動を4年ほど続け、帰郷後は高校で音楽を教えた。その後、大学院で作曲を学び、「音楽制作 フローラル ミュージック」を設立した。

創作のベースを「色」で表すとすれば?との問いには「重厚(じゅうこう)なダークブラウンと、淡く変わりゆくマーブルカラーです」と返ってきた。

妻であり、母でもある「柴藤ひろ子」として、落ち着きの中に癒しと激情をこめた作品はダークブラウンに象徴(しょうちょう)される部分、一方、少女時代から今日まで、田川(旧姓)ひろ子という一人の女性として抱き続ける「恋心」を見つめ直し、自ら作り、歌うラブソングのイメージは、はかなく揺らぐ切なさを内包(ないほう)し、渦巻きながらの陰影を持つ「淡いマーブルカラー」なのだそうだ。

さまざまな想いを馳(は)せるピアノの前で(平山和充さん撮影)。

これは「音楽を創る自分がいつも2人いるように感じる」といった柴藤さんの意識に対応したイメージでもある。

作曲でもっとも苦しく感じるのはどんな点ですか?と聞いてみると「弾き始めの一音を見つけるまでの時間です。閃(ひらめ)きが舞い降りたら、すぐ楽譜を書きつけるようにしていますが、それまでが一番苦しいんです」というと、すぐに「でも」と継いで、「その苦しみを楽しんでいるところも実はあるんですよ」と屈託(くったく)なく笑う。

アルトリコーダーひとつ満足に操(あやつ)れず、音楽室の壁にズラリと掛かった音楽家の肖像画さえ、昔の校長だろうと長いこと思い込んでいた小学校時代を送った筆者には想像の外の話だが、初めの音が舞い降りる瞬間は、創造へ自らを追いやるための魅惑(みわく)に満ちたエクスタシーの訪れなのかもしれないと感じた。

柴藤さんの母方の里は、鹿児島と熊本の県境の出水(いずみ)市に今も保存されている貴重な史跡である武家屋敷群だ。「一歩引いて男性を立てながらも、女性の尊厳を崩さない、凛然とした剛毅(ごうき)さを母の姿から感じました」と話す。前述の「薩摩おごじょ」をテーマとした作曲の際にも、こういった原体験から引き継がれた美意識は随所に生かされたのではないだろうか。

特別な場所である武家屋敷群で特に印象に残る季節は?と聞くと「蝉時雨(せみしぐれ)が降る夏です」と微笑(ほほえ)んで、「あの苔生(こけむ)す夏の匂いが忘れられません」と付け加えた。

時として、蝉時雨はひとを忘我(ぼうが)へと誘う。藩政時代に国境の要衝(ようしょう)として、武の国であった薩摩でも特に誉れ高かった「出水兵児(いずみへこ)」と呼ばれた最強の戦士団を擁(よう)し、骨肉(こつにく)あい食(は)む凄惨(せいさん)な内戦となった西南戦争(1877年)の舞台ともなった屋敷群を行き交った人々の足音の響きが聞こえてくるような真夏の陽の盛りは、多感な少女の感性にどういった波紋(はもん)を広げたのだろうか。

10代の頃から抱き続ける、切なく揺れる恋心を表現する試みはまだ始まったばかりだという。淡いマーブルカラーの感性が奏(かな)でる調べは、悠久(ゆうきゅう)からのうねりを見せる瑞穂(みずほ)の波の清(すが)しいきらめきを明日へと繰り延べながら、未来への伝言を運ぶ歩みを続けるのかもしれない。

激情に翻弄(ほんろう)される恋という小舟を、命の迸(ほとばし)りを鈍らせることなくどうやって淡い優美さで包み込んで歌いあげるのか。薩摩の女性が深奥(しんおう)に持つ凛然とした可憐(かれん)な美が、光の束を一点に集めるようにどう収れんされていくのか。これからさまざまな形となっていく、柴藤さんの心の機微(きび)を表出する音楽への興味は尽きない(【神侠介の霧島連報】は九州出身でライターの神侠介さんが現代版「お国自慢」を独特の筆で書きます。当面、不定期で掲載します)。

編集注:柴藤ひろ子さんは鹿児島大学教育学部教員養成課程音楽科ピアノ専攻を卒業、鹿児島大学大学院教育学研究科教科教育作曲修士課程を修了、1994年から楽曲の提供をはじめ、1996年に有明町制40周年記念の有明町イメージソング「この場所から-有明の風にのせて」を作曲、1997年に鹿児島作曲協会でピアノ曲「さわん さ そうい」を発表、2000年に音楽制作会社「フローラル ミュージック」を設立、2001年に十島村教育委員会の依頼によりCD「十島のうた」を制作している。
フローラル ミュージック

この記事を友だちに送る >>