コラム・レポート

麻生会頭への道(3)立ちはだかるJC首脳に意中の人物(55)

麻生会頭への道(3)立ちはだかるJC首脳に意中の人物(55) 2008年10月に首相就任直後の麻生太郎さんと日本青年会議所の集まりで顔を合わせた長谷川裕一さん。

(前首相の麻生太郎さんが1978年に日本青年会議所会頭に就任した前後の話について、2009年11月19日と12月9日に2回掲載し、今回はその3回目です)
【暮らしの中の仏教・言の葉集】いよいよ麻生太郎(あそう・たろう)さんを日本青年会議所会頭に推すときがやってきた。

ほとんどの場合、現職の会頭が指名すれば、選挙なしで次期の会頭が決まることになっている。九州地区がひとつにまとまって麻生さんを会頭に推挙する決議をし、それを全国に広げようということになった。

ところが、当時の会頭の小沢一彦(おざわ・かずひこ、現日本水産観光代表取締役)さんが納得しない。東京から見ると九州はすごい田舎で、そんなところから会頭を出せるのか、本当に麻生太郎を最後までバックアップできるかどうか疑わしいと。しかし、こちらは本気だ。


会頭の任期は1月から12月の1年で、前年の5月から6月ころに決定し、決まったらすぐに次の年の運動が始まる。われわれは九州地区の各県の青年会議所会長にその地区をまとめてもらおうと努め、1月の九州地区協議会で「麻生を日本の会頭に推薦し、九州から支援していく」という決議にこぎつけた。

それでも小沢さんはいい顔をしない。後でわかったのだが、小沢さんは望月成二(もちづき・せいじ)さんという広島青年会議所の人を考えていたのだ。青年会議所に属せるのは40歳までで、望月さんはその最後の年に当たっていた。

麻生さんは当時37歳でまだ次がある。だから、九州は余計なことをしてくれるな、全国の秩序を乱さないでくれという思いが腹の中にあったのだ。

だが、九州としてはやる気があるのを示さなくてはならない。北海道、東北、関東、東海、関西・・・と各地区で行われる大会に九州から大挙して出席し、どこに行っても「麻生をよろしくお願いします」とデモンストレーションした。

九州はやる気あるなぁと驚かれる一方、親しくなると「応援するよ」というひと言がいただける。選挙は青年会議所単位での投票だから、県で決めてあっても別の候補に投票することもありうる。

何と言っても、一番の票田である関東地区の大会が最大のヤマ場だった。九州の全青年会議所の代表が羽田から貸切りバス2台で山中湖で開催されていた会場に乗り込んだ(【暮らしの中の仏教・言の葉集】はお仏壇のはせがわの会長、長谷川裕一さんが日常生活の中に根づいている仏教について話したことをまとめています。今回は特別編として、麻生太郎さんが日本青年会議所会頭に就任した当時の話を連載しています)。

編集注:麻生太郎さんは1940年福岡県飯塚市生まれ、1963年3月に学習院大学政経学部政治学科を卒業、同年4月にスタンフォード大学に留学、 1965年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学、1966年8月に麻生産業に入社、11月に取締役、1973年に麻生セメント社長(1979 年12月まで)、1976年7月にモントリオールオリンピックのクレー射撃に日本代表として出場(41位)した。

1978年に社団法人「日本青年会議所」会頭、1979年10月に衆議院議員選挙(旧福岡2区、現福岡8区)に出馬し当選、1983年11月に元首相の鈴木善幸(すずき・ぜんこう、1911-2004)の3女千賀子(ちかこ)さんと結婚、同年12月の衆議院議員選挙で落選、1986年7月の衆議院議員選挙で当選、以降6回連続当選している。

1996年11月に経済企画庁長官(1997年9月まで)、2001年1月に経済財政政策担当大臣(2001年4月まで)、2003年9月に総務大臣、2005年10月に外務大臣、2006年12月に「為公会(麻生派)」を設立し、会長に就任、2007年8月に自民党幹事長、2008年9月22日に第23代自民党総裁、9月24日に第92代内閣総理大臣に就任、2009年9月16日に首相と総裁を辞任した。
お仏壇のはせがわ銀座本店

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