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タイムドームで金井三男が江戸から明治の暦の歴史を語る

タイムドームで金井三男が江戸から明治の暦の歴史を語る

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【銀座新聞ニュース=2010年9月8日】タイムドーム明石(中央区明石町12-1、03-3546-5537)は9月12日13時から金井三男さんによる「江戸から明治の暦と天文学」を開催する。

東急コミュニティー(世田谷区用賀4-10-1、世田谷ビジネススクエアタワー、03-5717-1001)のスーパーバイザーで、プラネタリウム解説員の金井三男(かない・みつお)さんが「江戸から明治の暦と天文学」と題して、9月22日の「仲秋の名月」を前にして、江戸時代から明治時代における暦と天文学の発展について解説する。

ウイキペディアによると、日本に暦が伝えられたのは朝鮮半島の百済(くだら、346年から660年)を通じて6世紀頃で、当初は百済から渡来した「暦博士」が暦を編さんしていたものの、百済の暦をそのまま使用していたと考えられている。

602年に百済から学僧・観勒(かんろく、生没年不詳)が暦本などを携えて来日し、604年に初めて日本人の手によって暦が作られたとあるが、これは中国暦のひとつ「元嘉暦(げんかれき)」(太陰太陽暦)によるものとされている。

692年(690年説とも)に中国から輸入した新しい暦「儀鳳暦(ぎほうれき)」(太陰太陽暦)を試用するため、元嘉暦との並用を始め、697年に「儀鳳暦」を正式に採用した。その後、大えん暦(たいえんれき)を経て、862年から1685年まで「宣明暦(せんみょうれき)」(太陰太陽暦)が採用された。

江戸時代に入って、渋川春海(しぶかわ・はるみ、1639-1715)により完成した日本最初の暦(大和暦)が「貞享暦(じょうきょうれき)」(太陰太陽暦)で、1685年から採用された。その後、1755年に「宝暦暦(ほうりゃくれき)」、1798年に「寛政暦(かんせいれき)」、1844年に「天保暦(てんぽうれき)」と改暦され、1872年に現在も使用している「グレゴリオ暦」(太陽暦)に改暦された。

暦には月の満ち欠けの周期(朔望月=さくぼうつき)を1カ月とする太陰暦、太陰暦を基にしつつも、閏月(うるうづき)を入れて、実際の季節とのずれを補正した太陽太陰暦、地球が太陽の周りを回る周期を基にして作られた太陽暦とある。

純粋な太陰暦では1年が354日となり、太陽暦に比べて1年が11日ほど短くなる。このずれが3年で約1カ月となるので、約3年に1回、1カ月の閏月を入れて、ずれを解消したのが太陽太陰暦で、日本では「天保暦」まで採用された。

「グレゴリオ暦」は1582年にローマ教皇グレゴリウス13世(Gregorius13、1502-1585)がユリウス暦(ユリウス・カエサル=Gaius Julius Caesar、紀元前100ころ-紀元前44年=が制定し、紀元前45年1月1日から実施)を改良して制定した暦だ。

1年を365日とし、4年に1回閏年を置いて366日とするものの、400年に3回は閏年とせず平年とする(400年間に閏年が97回)。ユリウス暦は1年を365日とし、4年に1度の閏年に2月に1日を加えて366日としたが、1太陽年とは4年に約44分の誤差が生じた。

正確にはユリウス暦が平均年365.25日に対して、太陽年が365.2422日であるため、1000年で8日の誤差が生じる。グレゴリオ暦は平均年を365.2425日とし、さらに「西暦紀元の年数が100で割り切れて、かつ400では割り切れない年は閏年としない」というルールを加えて、400年間に3回は閏年としないことで改良した。

日本では、明治5(1872)年11月9日に新暦導入を決め、12月3日を明治6年1月1日とした。これは参議(当時)の大隈重信(おおくま・しげのぶ、1838-1922)の回顧録によると、政府の財政状況がひっ迫し、旧暦のままでは明治6年は「閏月」があるため13カ月となり、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を1年間に13回支給しなければならなくなる。

これに対して、新暦を導入すると、閏月はなくなり12カ月分の支給ですみしかも、明治5年も12月が2日しかないので、11カ月分しか給料を支給しなくてよくなる。しかも、当時は1、6のつく日を休業とする習わしがあり、これに節句などの休業を加えると年間の約4割は休業日となっていたが、新暦にすると、週休制になり、休業日を年間50日余に減らすことができることから突然の採用を決めたとしている。

「仲秋の名月」は旧暦8月15日の「十五夜(じゅうごや)」に月を愛(め)でる習慣で、中国から伝わった祭事で、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)で歌を詠み、宴を催したという。旧暦8月15日は2009年が10月3日で、2010年が9月22日、2011年が9月12日にあたる。

金井三男さんは1946年東京都生まれ、1969年に東京学芸大学教育学部 B類理科地学専攻天文学専修を卒業、在学時に「変光星研究会」に所属し、「食変光星アルゴル」を観測しており、卒業後、目黒星美学園中学・高校に理数科教諭として就職した。1974年に財団法人「天文博物館五島プラネタリウム」に就職、学芸課解説係に就任、1989年に五島プラネタリウムを退職するまで解説を担当した。

1989年4月に東急コミュニティーに入社、八王子市こども科学館を担当、1992年に湘南台文化センターに異動、 1993年に開発営業部に異動し、6プラネタリウム施設の業務を受託、2007年に東急コミュニティーを定年退職し、スーパーバイザーとして活動している。2008年に「食変光星アルゴル」について350回目の極小観測を行っており、2024年までに500回達成をめざしている。

定員は86人で、料金は無料。当日、12時から6階受付で整理券(1人1枚)を配布する。(2010-09-08)

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