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神田あおいと歩く「江戸通り」、浅草文庫碑など浅草巡り

神田あおいと歩く「江戸通り」、浅草文庫碑など浅草巡り

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【銀座新聞ニュース=2010年3月9日】永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1階、03-3245-1278)で3月11日に神田あおいさんによる「講釈師と歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開催する。

「二ツ目」の講談師の神田(かんだ)あおいさんの案内で歩いて「江戸通りを歩く-浅草橋-蔵前橋コース」をめぐり、最後に日本橋お江戸亭で神田あおいさんの講談を聞く。

「江戸通り」は千代田区大手町から浅草にいたる通りの通称で、神田あおいさんが「薬研堀不動院(やげんぼりふどういん)」(中央区東日本橋2-6-8)から「舟宿街」の浅草橋、さらに「柳橋(やなぎばし)」に回る。

その後、「日本文具資料館」(台東区柳橋1-1-5、東京文具販売健保会館1階)、「須賀神社(すがじんじゃ)」(台東区浅草橋2-29-1)、「浅草文庫碑」(台東区蔵前1-4-3、榊神社内)、「鳥越神社」(台東区鳥越2-4-1)を解説しながら歩いて回る。その後、「日本橋お江戸亭」で昼食をとり、神田あおいさんが講談を披露する。

「薬研堀不動院」は川崎大師の東京別院で、江戸時代には目黒、目白とともに「江戸3大不動」として知られていた。天保年間に和蘭医学塾が開講され、境内には「順天堂発祥の碑」や「講談発祥の碑」がある。両国橋のたもとで江戸時代に、赤松青左衛門(あかまつ・せいざえもん、名和清左衛門とも、?-1717)がお金をとって講談の公演を行ったのがはじめとされている。

「日本文具資料館」は社団法人「東京文具工業連盟」が運営する資料館で、筆、万年筆からすずりなど筆記具類やそろばんなどの計算機、インク類など古今の文具が展示さている。入場は無料。

「須賀神社」は600年に創建され、江戸時代には牛頭(ごず)天王社、祇園社(ぎおんしゃ)、団子天王社(だんごてんのうしゃ)などと呼ばれ、明治になって「須賀神社」と改称した。

団子は流行の疫病にかかった12歳の娘の両親が、牛頭天王に21日間日参し、病気が治るよう祈願したところ、娘が全快し、両親は娘の歳の数と1年の月の数を合わせた団子を篠の葉に刺して神前に供えたことに由来し、願い事が叶ったお礼に篠団子を奉納するようになったと伝えられている。

「榊神社」は景行天皇(けいこうてんのう、紀元前13-紀元後130)の代に日本武尊(やまとたけるのみこと)が神をまつったことにはじまり、元々は浅草鳥越の岡にあり、鳥越神社、熱田神社とともに「鳥越三所明神」と呼ばれた。

江戸時代に鳥越の岡は造成のために順次、取り崩され、1645年に「鳥越三所明神」が移転を命じられ、鳥越明神だけが旧地に残り、熱田神社は山谷に、「第六天社」は堀田原に移った。1873年に社号を「榊神社」と改め、1928年に現在地に移った。毎年6月の第1週の週末に例大祭が行われている。

この境内にあるのが「浅草文庫碑」で、浅草文庫は1874年に湯島書籍館の図書14万冊を移し、1875年から公開された官立の図書館だが、1881年に閉館され、施設は上野公園に移され、現在の国際子ども図書館の前身になった。現在、蔵書は国立公文書館内閣文庫や国立国会図書館、東京国立博物館に所蔵されている。

「鳥越神社」は651年に日本武尊(やまとたけるのみこと)をまつって白鳥神社と称したのが始まりとされ、源義家(みなもとのよしいえ、1039-1106)がこの地を訪れ「鳥越大明神」に改めたと伝えられている。1月8日に行われる「とんど焼」が知られている。

神田あおいさんは埼玉県岩槻市(現さいたま市)生まれ、18歳から演劇集団円研究所、月蝕(げっしょく)歌劇団などに携わり、2002年に神田(かんだ)すみれさんに入門、2003年に前座「あやめ」で初高座、2008年に「二ツ目」に昇進、「あおい」に改名している。

時間は10時から16時で、昼までにお江戸日本橋亭に戻り、13時30分からお江戸日本橋亭で神田あおいさんの寄席となる。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3000円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。申し込みは永谷商事まで。(2010-03-09)

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