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文祥堂で植田紳爾が演出したA・デュナンの苦難(2)

文祥堂で植田紳爾が演出したA・デュナンの苦難(2)

(「文祥堂フォーラム」について5段落目以下にA・デュナンと戦争の情報を加え、見出し、写真も替え、記事の全文を出した後に写真をクリックすると出てくる説明も変えてあります)
【銀座新聞ニュース=2010年3月8日】文祥堂(中央区銀座3-4-12、03-3566-3591)は3月17日18時から2階の文祥堂ホールで植田紳爾さんによる「第294回文祥堂フォーラム」を開催する。

「文祥堂フォーラム」は会長の佐藤克夫(さとう・かつお)さんが「日ごろからお世話になっている地域社会の方々や、お客様にお返しをしたい。誰もが気軽に参加でき、自己啓発などができる知的なサロンのようなものがいい」と考え、1985年10月から毎月1回開催しており、今回で294回目を迎える。

今回は元宝塚歌劇団理事長で演出家の植田紳爾(うえだ・しんじ)さんが3月26日から東京宝塚劇場で公演される「ソルフェリーノの夜明け-アンリー・デュナンの生涯」の脚本と演出を手がけた立場で、この公演や舞台、宝塚歌劇団について語る。

「ソルフェリーノの夜明け-アンリー・デュナンの生涯」は赤十字思想誕生150周年と銘打って東京宝塚劇場で3月26日から4月25日まで雪組によって公演される。脚本、演出とも植田紳爾さんが担当している。

この作品は世界の186カ国・地域に存在する「赤十字」の創設に尽力し、「赤十字の父」と呼ばれ、第1回ノーベル平和賞を受賞したスイス人実業家アンリー・デュナン(Jean Henri Dunant、1828-1910)の苦難を描いている。

植田紳爾さんは作品を構想するためにアンリー・デュナンについて資料を読むなかで「これは逃げるわけにはいかない」と感じた。そのため、「今回は、デュナンが戦場で見たこと、感じたことを正面から描こうと腹をくくり、宝塚として新しい挑戦をしようと決断した」という。

アンリー・デュナンは1828年スイス・ジュネーブに生まれ、カルヴァン高校を中退し、両替の仕事につき、1849年にスイスのルーラン・ソーター銀行に就職、1858年にアルジェリアにドイツ人のヘンリ一・ニックと共同でモン・ジェラミー製粉会社を設立した。1859年に会社の水利権問題を直訴するため、ナポレオン3世(Napoleon3、Charles Louis-Napoleon Bonaparte、1808-1873)に会おうとして北イタリア・ソルフェリーノに訪れ、フランス・イタリア連合軍対オーストリアの戦争に直面し、負傷兵の救護活動に取り組んだ。

1862年にこの戦争の悲惨さと看護の重要性を説いた「ソルフェリーノの思い出」を自費出版し、その中で「傷病者は敵味方の区別なく看護すること」、「看護に当たる人々は中立として扱うこと」を提案した。1863年に「戦傷兵国際救済委員会(後の赤十字国際委員会)」が結成され、1864年に赤十字の活動ルールを決めた10か条の「ジュネーブ条約」が成立した。

しかし、アンリー・デュナンは事業がうまくいかず、1867年に赤十字国際委員会を辞任、ジュネーブも去って、個人として赤十字の進歩発展に尽くし、講演活動を続け、1874年に「捕りょの運命改善のためのフランス協会」書記に就任し、1875年に奴隷問題でも提案したものの報われず、その後はドイツ、オランダ、イギリスなどを放浪して体を壊し、1892年にドイツのハイデンの病院に入院し、1895年にその病院に取材に来たドイツ記者がアンリー・デュナンがいることを知り、記事として取り上げ、1901年に第1回ノーベル平和賞を受賞した。

アンリー・デュナンが赤十字を提唱するきっかけとなったソルフェリーノの戦い(Battle of Solferino)はイタリア統一戦争中の1859年6月24日にイタリアのソルフェリーノを中心に行われた戦いだ。

ナポレオン3世率いるフランス帝国軍とヴィットーリオ・エマヌエーレ2世(Vittorio Emanuele2 di Savoia、1820-1878)率いるサルデーニャ王国軍の連合軍が、フランツ・ヨーゼフ1世(Franz Joseph 1、1830-1916)率いるオーストリア帝国軍と戦い、連合軍が勝利し、フランスとオーストリアの間で和平条約が結ばれ、オーストリアはイタリアに対する影響力を失った。

フランス・サルデーニャ連合軍が11万8600人、オーストリア軍が10万人の兵力で、この戦いで連合軍が1万7000人を失い、オーストリア軍は2万2000人が亡くなった。ナポレオン3世に直訴するため、この地に訪れていたアンリー・デュナンは戦いの模様を観戦し、眼前で展開される凄惨な光景に大きな衝撃を受けた。

当時は負傷兵の扱いも粗雑で、負傷兵は後方に運ばれていたが、あまりの数の多さのため、病院の代わりとなっていた教会に入りきらず、街路に放置されていた。デュナンは町民とともに負傷兵の手当てに加わったが、多数の兵士が治療の甲斐なく死んでいったという。スイスに帰国したアンリー・デュナンは、自身の体験と、ソルフェリーノの戦いに参加した兵士の証言を基に「ソルフェリーノの思い出」を自費出版した。

ウイキペディアなどによると、植田紳爾さんは1933年兵庫県神戸市生まれ、早稲田大学第1文学部演劇科を卒業、1957年に宝塚歌劇団に演出助手として就職、同年12月に「舞い込んだ神様」で演出家としてデビュー、1973年に自身初のオリジナル一本立てミュージカル「この恋は雲の涯まで」を書き下ろした。

1974年に「ベルサイユのばら」、1977年に「風と共に去りぬ」の演出を手がけた。1994年から1996年まで阪急東宝グループ関連会社の宝塚クリエイティブアーツ社長、1996年から2004年まで宝塚歌劇団理事長を務め(この間、阪急電鉄取締役)、「宙組」を新設して歌劇団の5組化や東京宝塚劇場の新装などに取り組んだ。

1990年に兵庫県文化賞、1993年に松尾芸能演劇優秀賞、1996年に紫綬褒章、2002年に菊田一夫演劇特別賞、2004年に旭日小綬章、2005年に大阪芸術賞などを受賞している。現在、宝塚歌劇団理事、特別顧問、社団法人「日本演劇協会」会長を務めている。

また、植田紳爾さんは上方舞山村流4世宗家山村若(やまむら・わか)の娘、山村糸(やまむら・いと、?-1990)と結婚、息子が6世宗家山村若さん。

参加希望者は住所、氏名、電話番号を明記の上、「文祥堂フォーラム係」にファックス(03-3566-3510)またはHPの申し込みフォーム(http://www.bunshodo.co.jp/FS-APL/FS-Form/form.cgi?Code=forum)から記入する。定員は200人で参加費用は無料。(2010-03-08)

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