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晴海で初の中学生駅伝、増田明美、瀬古利彦が実況

晴海で初の中学生駅伝、増田明美、瀬古利彦が実況

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【銀座新聞ニュース=2010年3月11日】東京都教育委員会(新宿区西新宿2-8-1、03-5320-6733)は3月21日に晴海埠頭特設会場で「第1回中学生 東京駅伝」を開催する。

東京都を構成している23区26市2町の町単位で各地の中学2年生から選抜された51チームが参加して、男子が42.195kmを17区に分け、女子が30kmを16区に分けて周回コースを走る。男子は1区間あたり2kmから3kmに設定し、女子が1.5kmと2.5kmに分ける。補欠選手を含めると2121人が参加するという。

当日、会場では実況中継もあり、元マラソン選手でエスビー食品スポーツ推進局局長の瀬古利彦(せこ・としひこ)さんと元マラソン選手で大阪芸術大学教授の増田明美(ますだ・あけみ)さんが解説する。

瀬古利彦さんは1956年三重県桑名市生まれ、1975年に早稲田大学教育学部を入学、1年から4年連続で箱根駅伝の「花の2区」を走り、3年生の1978年に福岡国際マラソン大会で初優勝、1980年のモスクワオリンピックの代表に選ばれ(日本はボイコットして不出場)、1980年に早稲田大学を卒業し、エスビー食品に入社した。

1980年12月の福岡国際マラソン大会で、モスクワ五輪金メダリストのワルデマール・チェルピンスキー(当時東ドイツ)さんを破り、2時間9分45秒の記録で優勝した。1984年のロサンゼルスオリンピック代表にも選ばれたが、14位に終わった。1987年4月にボストンマラソンに出場、オリンピックメダリストなど強豪選手が出るレースで優勝した。

1988年のソウルオリンピックでは9位となり、ソウルオリンピック後の第1回国際千葉駅伝で日本チームのアンカーを務めたのを最後に現役を引退した。引退後はエスビー食品陸上部監督に就任、1990年より4年間、早稲田大学競走部のコーチを兼任、2006年3月にエスビー食品陸上部監督を退任、4月1日付で同社スポーツ推進局長に就任した。2007年12月より東京都の教育委員に任命された(任期は2011年まで)。

増田明美さんは1964年千葉県いすみ市生まれ、成田高校を卒業、高校3年時にトラックの3000m、5000m、1万mとロードの10km、20kmで日本記録を更新し、マラソンでも2時間36分34秒の日本最高記録(当時)で優勝している。1982年に川崎製鉄千葉(現JFEスチール)に入社、 1984年にロサンゼルスオリンピックに出場したが、途中棄権した。同年秋に引退、川崎製鉄を退社した。

その後、法政大学を経て、1986年にNECに就職、再びマラソンに挑戦したが、1992年1月の大阪国際女子マラソンを最後に引退した。引退後はスポーツライターとなり、テレビ解説などを務める。2005年にファイナンシャル・プランナーの井脇祐人(いわき・ゆうと)さんと結婚し、2008年に日本ダブルダッチ協会の会長に就任した。

東京駅伝のスタート時間は女子が10時、男子が13時。日本体育大学応援団とチアリーディング、中央区立小学校のバンドなどが応援する。(2010-03-11)

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