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神田陽司と歩く高輪歴史館、旧朝香宮邸やインブリー館等

神田陽司と歩く高輪歴史館、旧朝香宮邸やインブリー館等

永谷商事(武蔵野市吉祥寺本町1-20-1、0422-21-1796)が運営する「お江戸日本橋亭」(中央区日本橋本町3-1-6、日本橋永谷ビル1 階、03-3245-1278)で2009年12月7日に神田陽司さんによる「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」を開催する。

永谷商事が毎月1回から2回程度、定期的に開催している「講釈師と一緒に歩く歴史と文化の散歩ラリー」シリーズのひとつで、講談師が名所旧跡などを解説しながら一緒に歩いて回る企画だ。

今回は神田陽司(かんだ・ようじ)さんの案内で、「高輪アンティーク洋風建築巡り」と題して、「高輪消防署二本榎出張所」(港区高輪2-6-17、03-3473-6360)から「明治学院大学(インブリー館)」(港区白金台1-2-37、03-5421-5111)と回り、「東京都庭園美術館」(港区白金台5-21-9、03-3443-0201)を経て、お江戸日本橋亭に移り、昼食後に神田陽司さんによる「日本橋お江戸寄席」を楽しむ。

「高輪消防署二本榎出張所」は1908(明治41)年に内務省警視局消防本署の第2消防署二本榎出張所として設置され、1926(大正15年)に御田消防署高輪出張所となり、1933年(昭和8)年に現在の庁舎が落成し、高輪消防署に昇格した。

しかし、太平洋戦争後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の勧告により、再度、出張所とされ、麻布消防署の所属となり、1951年に再び消防署に昇格し、1984年に高輪消防署の本署が港区白金2-4に移転したのに伴い、「二本榎出張所」とされた。出張所は海抜25mの位置にあり、新築当時は周囲に高い建物がなく、東京湾を眼下に眺望でき、「岸壁上の灯台」や「海原を行く軍艦」と評されたという。

「明治学院大学インブリー館」は1887年に開校した明治学院大学に教師の宣教師の住宅として1889年に建設されたのが2階建ての「インブリー館」だ。5号館にあたり、プレスビテリアン(長老派)のW.インブリー(William Imbrie、1845-1928)が長年住んだのでこう呼ばれた。

建坪は延べ371.5平米で、延床面積301.30平米、木造住宅様式となっており、1964年に国道1号線の拡幅に伴ない、現在地に移転し、1997年に修復が完成した。1998年に国の重要文化財に指定されている。

「東京都庭園美術館」は朝香宮鳩彦王(あさかのみや・やすひこおう、1887-1981)が1933年に建てた屋敷が旧朝香宮邸で、1920年代から1930年代にかけてヨーロッパの装飾美術を席巻したアール・デコ様式が採用されており、フランス人デザイナーのアンリ・ラパン(Henri Rapin、1873-1939)らが主要部分を設計、内部装飾もフランスをはじめとする外国から輸入されたものを多用している。

また、基本設計と内装の一部は宮内省内匠寮(たくみりょう)の建築家、権藤要吉(ごんどう・ようきち、1895-1970)が担当し、アール・デコ様式に日本独特の感性を付け加えた。朝香宮鳩彦王が皇籍を離脱し、熱海に転居したことから、国が外務大臣公邸として借り上げ使用し、1950年に西武グループの堤康次郎(つつみ・やすじろう、1889-1964)が買収した。

1955年に白金迎賓館(その後、白金プリンス迎賓館に改称)として開業し、国賓、公賓の迎賓館として使用され、1981年に東京都が138億円で白金プリンス迎賓館を買収し、1983年10月1日に「東京都庭園美術館」として開館し、1993年に東京都指定有形文化財に指定された。

神田陽司さんは1962年兵庫県尼崎市生まれ、早稲田大学第1文学部哲学科人文専修を卒業、「シティロード」編集部、副編集長を経て、劇団青年座研究所専科を修了、1990年に神田山陽(かんだ・さんよう)さんに入門、1995年に「二ツ目」に昇進、2003年に「真打」に昇進している。

時間は10時から16時で、昼までに江戸日本橋亭に移り、神田陽司さんの寄席を楽しむ。料金は弁当、飲み物、寄席代を含めて3000円で、交通費などがかかる場合は自己負担となる。希望者は永谷商事まで電話かメール(http://www1.odn.ne.jp/engeijou/form.html)で申し込む。
(2009-11-26)

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