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「ゴジラvsデストロイア」で薩摩剣八郎、川北紘一が対談

「ゴジラvsデストロイア」で薩摩剣八郎、川北紘一が対談

銀座シネパトス(中央区銀座 4-8-7先、三原橋地下街、03-3561-4660)で2009年11月28日に上映される「ゴジラvsデストロイア」の初日に 薩摩剣八郎さんと川北紘一さんによるトークイベントを開催する。

11月28日20時40分からの回上映前にゴジラのスーツアクターの薩摩剣八郎(さつま・けんぱちろう)さんと、ゴジラ作品の特技監督を務めた川北紘一(かわきた・こういち)さんがトークイベントを開く。

銀座シネパトスで11月13日から11月30日まで「平成ゴジラ復活祭」を開催しており、連日21時から平成のゴジラシリーズ6作品「ゴジラvsビオランテ」、「ゴジラvsキングギドラ」、「ゴジラvsモスラ」、「ゴジラvsメカゴジラ」、「ゴジラvssペースゴジラ」、「ゴジラvsデストロイア」を3日ずつ上映している。

ウイキペディアによると、「ゴジラvsデストロイア」は1995年12月に公開されたゴジラシリーズの第22作にあたり、観客動員数が400万人で、興行収入が20億円だった。キャッチコピーは「ゴジラ死す」で、平成vsシリーズの完結編となった。

また、1954年の「ゴジラ」シリーズ第1作から制作に携わってきた映画プロデューサーで東宝映画代表取締役相談役の田中友幸(たなか・ともゆき、1910-1997)の遺作とされ、音楽を手がけた伊福部昭(いふくべ・あきら、1914-2006)のゴジラシリーズ最後の作品ともなった。監督は大河原孝夫(おおかわら・たかお)さん、出演は林泰文(はやし・やすふみ)さん、辰巳琢郎(たつみ・たくろう)さん、石野陽子(いしの・ようこ)さんら。

登場する怪獣はゴジラ、ゴジラジュニア、デストロイアで、物語はバース島が消滅し、ゴジラとリトルゴジラが姿を消し、1カ月後に香港に出現したゴジラが従来と違い赤く発光していた。

同じ頃、東京周辺において異変が発生し、東京湾横断道路で工事用パイプが消滅し、しながわ水族館では魚が突然骨と化した。それは異常進化を遂げた生物・デストロイアのせいで、40mの巨大生物と化し、東京を破壊した。そのとき、御前崎沖にゴジラより小さい、ゴジラジュニアと呼ぶべき怪獣が出現した。それは行方不明となっていたリトルゴジラだった。

そのころ、ゴジラの体内の温度が1200度に達すると、メルトダウンが発生し、地球が灼熱の星と化してしまう危機が訪れる。ゴジラを倒せるのはデストロイアしかなく、ゴジラとデストロイアを戦わせるため、ゴジラジュニアをおとりとして、デストロイアに向かわせる作戦が提案される。

薩摩剣八郎さんは1947年鹿児島県出水市生まれ、1965年に川崎製鉄に入社、1967年に川崎製鉄を退社し、日活演技研究所(日活芸能教室)の1期生として入所、卒業後、劇団日活青年劇場に在籍、1969年に日活専属俳優となり、1970年に三船プロダクションに移籍、1971年に「ゴジラ対ヘドラ」にヘドラ役で出演、初のスーツアクター、1984年に「ゴジラ」にゴジラ役で出演し、1995年の「ゴジラvsデストロイア」まで、8作にスーツアクターとして出演した。

川北紘一さんは1942年東京都中央区日本橋生まれ、1960年に中野電波高校を卒業、国際短期大学に入学、1962年に大学を中退し、東宝に入社、撮影部特殊技術課に入り、同年の「妖星ゴラス」から撮影助手として特撮現場に加わり、1963年に光学撮影部門に移動、光線作画などを手がけ、1966年に「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」で撮影助手、1971年に「ゴジラ対ヘドラ」で演出助手を務め、合成シーンなどを演出、その後、「ゴジラ対ガイガン」と「ゴジラ対メガロ」以外のゴジラ映画すべてに撮影助手として関わる。

1972年に「ウルトラマンA」第1話で、テレビ特撮監督としてデビューし、1976年に「大空のサムライ」で映画特撮を監督し、1989年に「ゴジラvsビオランテ」で特撮監督を担当し、以後のゴジラシリーズ6作を担当する。1991年に日本アカデミー賞特殊技術賞、1992年にアジア太平洋映画祭特殊効果賞を受賞している。2002年に東宝を定年退職し、2003年に特撮・VFXの制作会社「株式会社ドリーム・プラネット・ジャパン」を設立した。

料金は全席指定で1500円。(2009-11-26)

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