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はせがわ銀座で米川慶子が藍染花展
お仏壇のはせがわ銀座本店(中央区銀座1-7-6、銀座河合ビル、03-5524-7576)は2009年7月6日から7月27日まで米川慶子さんによる「アートフラワー展」を開催する。
「フラワーショップ慶」(徳島市西大工町1-3、088-653-6012)代表取締役で「米川慶子フラワーデザインスクール」を主宰する米川慶子(よねかわ・けいこ)さんが徳島県阿波の伝統の「灰汁発酵建染(あくはっこうだてそめ)」という手法で染色した造花「藍染花(あいせんか)」を展示する。
「灰汁発酵建染」とは染料の「すくも」に灰を溶いた 灰汁を加え、発酵させて染液を作り、この染液つくりを「藍建て(あいだて)」という。灰汁はアルカリ性で、適度なPh(ペーハー)値にするために、木材の種類も決められている。
阿波ナビによると、阿波の藍染めは平安時代に徳島の山岳地帯で阿波忌部(あわのいんべ)が織った荒妙(あらたえ)という布を染めるために栽培が始まったと伝えられている。「見性寺(けんしょうじ)記録」には、1247(宝治元)年に藍住町に見性寺を開基した翠桂(すいけい)和尚が、そのころ寺のあった美馬郡岩倉(現美馬市脇町)で藍を栽培して衣を染めたと記されている。
戦国時代に武士のよろい下を藍で染めるようになったが、当時は葉藍を水につけて染め液をつくる「沈殿藍」で藍染めを行っていた。これに対して、1549(天文18)年に三好義賢(みよし・よしたか)が上方から青屋(あおや)四郎兵衛を呼び寄せ、すくも(藍の葉を発酵させて染料にしたもの)を使った染めの技術とすくもの製法が伝えられた。
1585(天正13)年に徳島藩の藩主、蜂須賀家政(はちすか・いえまさ、1558-1639)が藍の生産を保護、奨励し、藍師や藍商から取り立てる租税で藩の財政を確立した。そのため、江戸時代には全国的に綿づくりが行われ、木綿が多く生産され、それに伴って、阿波藍も大量に生産されるようになった。
明治以降も藍作は盛んに行われ、北海道から九州まで栽培され、全国的には1903(明治36)年に過去最大の生産規模に達し、徳島県が作付面積、生産量とも全国の過半数を占めていた。その後、インドから良質で安価なインド藍が輸入され、明治後期からは化学合成された人造藍の輸入が増え、日本の藍づくりは衰退の一途をたどり、徳島県でが1966年にわずか4haにまで栽培が減少した。
米川慶子さんがこうした伝統手法を使って藍染の濃淡を組み合わせた制作した「藍染花」やアクセサリーなどの小物類も展示販売する。
米川慶子さんは1947年徳島県徳島市生まれ、大阪樟陰女子大学別生活科を卒業、1970年に「米川慶子フラワーデザインスクール」を開校、1972年に「フラワーショップ慶」を開業、これまでに「NFDトップデザイナーコンテスト」で受賞、徳島県芸術祭大賞を受賞、全通記念藍リビングコンテスト優秀賞などを受賞している。
営業時間は11時から19時(最終日は16時)まで。入場は無料。(2009-07-06)
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