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富山館がFCCJで笹島信義、奥野義雄らの黒四シンポ

富山館がFCCJで笹島信義、奥野義雄らの黒四シンポ

富山県が運営する「いきいき富山館」(千代田区有楽町2-10-1、東京交通会館地下1階、03-3213-1244)は2009年3月15日に外国人記者クラブ(FCCJ、千代田区有楽町1-7-1、有楽町電気ビルディング北館20階)でシンポジウム「21世紀によみがえる『黒部の太陽』の世界」を開催する。

「黒部ダム建設に挑んだ男たち」との副題で、映画「黒部の太陽」(1968年)で石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう、1934-1987)役のモデルとされた「笹島建設」(港区青山2-22-3)会長の笹島信義(ささじま・のぶよし)さんと関西電力黒部川第四水力発電所建設事務所員としてダムの設計に携わった奥野義雄(おくの・よしお)さんらが参加して、当時を回顧しながら、黒部ダムの意義を話し合う。

また、富山館では3月17日から4月12日まで情報館で「21世紀によみがえる『黒部の太陽』の世界」を開催する予定だ。

ウイキペディアによると、黒部ダムは富山県中新川郡立山町、黒部川水系黒部川に関西電力によって建設されたアーチ式コンクリートダムの「黒部川第四発電所」(通称・黒四)で、ダムの高さ(堤高)が186mで日本一、総貯水容量が約2億tで黒部湖(くろべこ)を形成している。

総工費は当時の費用で513億円で、当時の関西電力の資本金の約5倍だった。作業員は延べ人数は1000万人を超え、工事期間中の殉職者は171人に上った。

1956年に関西電力が社運をかけた大規模プロジェクトで、近畿(関西)地方への電力供給、さらには経済活動の命運がかかっていた。建設にあたって工区を5分割し、それぞれに異なる建設会社が請け負い、1963年に竣工した。

第1工区が間組、第2工区が鹿島建設、第3工区が熊谷組、第4工区が佐藤工業、第5工区が大成建設で、「黒部の太陽」はこのうち熊谷組が担当した第3工区のトンネル工事の模様を中心に描いている。

黒部ダムの建設工事現場はあまりにも奥地で、初期の工事は建設材料を徒歩や馬やヘリコプターで輸送したため作業がはかどらず、ダム予定地まで大町トンネル(現在の関電トンネル)を掘ることを決めた。

しかし、破砕帯から大量の冷水が噴出し、死者が多数出る大変な難工事となり、別に水抜きトンネルを掘り、薬剤とコンクリートで固めながら掘り進めるという当時としては最新鋭の技術が導入され、トンネルは貫通し、工期が短縮された。

「黒部の太陽」は木本正次(きもと・しょうじ、1912-1995)が毎日新聞で連載していた同じ題名の小説が原作で、三船プロダクションと石原プロモーションが共同で1968年に制作し、公開された。監督が熊井啓(くまい・けい、1930-2007)、主人公が三船敏郎(みふね・としろう、1920-1997)と石原裕次郎で、観客動員数が730万人、興行収入が約8億円だった。

また、石原裕次郎がスクリーン以外での上映を認めなかったため、著作権が切れる2039年までビデオ化やVDV化は難しいとみられている。

笹島信義さんは1917年富山県生まれ、1945年に熊谷組笹島班を組織して黒部ダムのトンネル工事を担当した。

奥野義雄さんは1923年生まれ、1951年に日本発送電より関西電力に入社、黒部ダムをはじめ多くのダム・発電所建設に携わり、1978年に同社を定年退職、現在は「くろよんの語り部」として講演活動などを行っている。

時間は16時から18時で、定員は100人。料金は無料だが、事前の予約が必要で、郵便ハガキで住所、氏名、電話番号、年齢、シンポジウム参加希望と書いて「いきいき富山館」(郵便番号100-0006)まで申し込む。3月5日締め切り。

また、メール(toyamakan@gol.com)に、氏名、年齢、「acoicoメールニュースを見た」と記載して申し込むこともできる。メールの申し込みは3月6日が締め切り。
(2009-03-03)

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