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日本橋三越で1930年伊「日本美術展」の復古展

日本橋三越で1930年伊「日本美術展」の復古展

日本橋三越(中央区日本橋室町1-4-1、03-3241-3311)は2008年5月13日から5月25日まで新館7階ギャラリーで「今、蘇るローマ開催・日本美術展」を開催している。

1930年にイタリア政府がローマ市内の美術館「パラッツオ・デルラ・エスポジツィオーネ」で「日本美術展覧会」を開催した。この「日本美術展覧会」は、当時の日本画壇を代表する日本画家80人が制作した日本画168点出品された。

しかも、日本から同行した宮大工らが会場内に日本的建築空間を再現した内装で、大倉財閥の総師の大倉喜七郎(おおくら・きしちろう、1882-1963)が全面的に支援し、費用を負担したため、出品作品の多くが、現在は大倉集古館(港区虎ノ門2-10-4、03-3583-0781)に所蔵されている。

今回の「今、蘇るローマ開催・日本美術展」はこの1930年の「日本美術展覧会」の回顧展で、第1部が「ローマ開催日本美術展覧会の概要」、第2部が「ローマ展出陳作品」、第3部が「大倉喜八郎・喜七郎とその業績」とし、大倉集古館所蔵の約40点を中心に、ほかの作品も加えて展示し、当時の日本画を紹介する。

会場には、横山大観(よこやま・たいかん、1868-1958)の「夜桜」、速水御舟(はやみ・ぎょしゅう、1894-1935)の「鯉魚」をはじめ、竹内栖鳳(たけうち・せいほう、1864-1942)、下村観山(しもむら・かんざん、1873-1930)、川合玉堂(かわい・ぎょくどう、1873-1957)、鏑木清方(かぶらき・きよたか、1878-1972)、橋本関雪(はしもと・かんせつ、1883-1945)ら27人の作品を展示する。

ウィキペディアなどによると、大倉財閥創始者の実業家、大倉喜八郎(おおくら・きはちろう、1837-1928)は1937年新潟県生まれ、鉄砲商から身を立て、明治維新後は貿易会社、建設業に転身し、化学、製鉄、繊維、食品などの企業をおこした。

戊辰戦争、台湾出兵、日清、日露と戦争軍需によって大儲けし、「死の商人」とか「政商」と呼ばれ、当時の軍事関連の需要は三井、三菱を凌いでほとんど大倉組が独占していた。晩年は公共事業や教育事業には惜しみなく私財を投じ、鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立した。また、現在の東京経済大学の前身である大倉商業学校を創設した。

大倉喜七郎は大倉喜八郎の息子で、大倉財閥2代目総帥。1900年にケンブリッジ大学に留学、1922年に帝国ホテル会長に就任、その事業を引き継いで後の発展につとめ、戦後の公職追放、財閥解体なとの難局に直面しながらも、特にホテルオークラ、川奈ホテルをはじめとする、日本のホテル業に大きな足跡を残した。

また、大倉喜八郎が創設した大倉集古館の理事長を長年にわたり務め、日本近代絵画を擁護し、1924年の日本棋院設立時には経済面で多大な援助を行い、1946年まで日本棋院副総裁を務め、その後名誉総裁となる。1961年に日本棋院ではその功績をたたえ、囲碁の普及、発展の功労者に贈る大倉喜七郎賞を創設し、2006年には日本棋院囲碁殿堂入りした。

横山大観は茨城県水戸市生まれ、1889年開校の東京美術学校(現・東京芸術大学)の第1期生として入学し、岡倉天心(おかくら・てんしん、1863-1913)に学び、1893年に卒業後、同校の助教授となるが、1898年に岡倉天心が東京美術学校を追われると、ともに学校を去り、1914年に下村観山らとともに「日本美術院」の創設に参加し、近代日本画の革新をめざした。1937年に文化勲章を受章した。

5月17日と5月18日の14時から大倉集古館の学芸員によるギャラリートークを開催する。参加は無料だが、入場料が必要。

開場時間は10時から20時(5月18日は19時30分、最終日は18時)で、入場券は一般・大学生が1000円、高校・中学生が800円、小学生以下は無料。(2008-05-16)

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